お葬式に行くと塩をもらうことはご存知でしょう。
この塩は「清めの塩」と呼ばれています。これは本来あまり深い意味はなく、葬儀屋さんが
葬儀を行い帰宅し他と気に行ったのが始まりです。仏教では死者を不定な物、
葬式を不浄な行為といった考えはありません。
当たり前に行われ当然だと思っている行為が実は間違った行為なのです。
泉○寺の和尚さん曰く、する必要はなく、どちらかというと仏教に反する行為です。
と、おっしゃっておられました。一度お坊さんに聞いてみるといいでしょう。
物の本によれば、中国から伝わったそうです。
中国の皇帝の目に留まるようにとまいたそうです。
皇帝が女性を選ぶのに馬か牛に乗りでかける。馬や牛は塩があるので止まる。で、ココにしようと決めたようです。
男子を身ごもれば、時期の皇帝になれると考え、時期の皇帝になれば裕福な暮らしが一族に約束されるからです。
コレが今となり、形を変えてお店の前に塩を盛るようになったみたいです。
もともとは飲み屋さんが行ったのを色々な飲食店やお店がまねて言ったようです。
仏教で儀式に塩を立つ儀式があります。修行憎の行う修行で、米・大麦・小麦・大豆・小豆そして塩を一切絶つ、
五穀断ちがそれにあたります。人間は塩を断つとイライラしてしまい、落ち着きがなくなり、体調が悪くなります。
五穀断ちの目的は、自分がなんとつまらない人間で、なんと小さな存在であるかを知り、
生きているのではなく、生かされているということを改めて知ることなのです。
仏教では常日頃自分のことよりも人に奉仕をする精神を教えます。
「他が為に なすはすなわち世のためと 尽くすまことが 真の信心」
常にこのような心を持ち合わせているように私も教えられています。
仏教では生かされていると教えられます。
己のおろかさ、小ささや愚かさを知り、仏の力にすがって生かされていくことに感謝しなさいと。
心からそう思えたとき、人はやさしく慣れると思います。
「のうまく、さんまんだ、ばあさらだあせんだんまあかろしゃだや、そわたやうんたらた、かんまん」